感性が出てこないと気はいつまでたってもわからない。

ワカラナイ・・・。

ワカラナイ・・・。

今日は「気が良くわからない」と言う事に対しまして「感性」というキーワードからお話してみたいと思います。

気がわからないタイプの方というのは大きく分けますと頭で理解できないと言う場合と、実感・感覚としてわからないというケースになるのかなと思いますが、頭で理解できないというタイプの方で言いますと、気というのはあまり頭で理解していくものでもないと言う事、また実感・感覚でわからないというタイプの方ですと、もっと細かに観察していく気持ちを磨くとか、気がわかる指導者にこういうものが気なんだよという指導を受け経験を重ねていくことが重要になるでしょう。

わからないということで似たようなものですと、例えば英語、英会話を例に挙げますと、英語を日本語に直しながら理解したり、話そうとするとどうでしょう?ぎくしゃくして妙な間が出来てしまったり、正しく理解し会えなかったりしますよね。 しかしネイティブ同志ならば英語をそのまま英語で受け入れやり取りしますので、そこにいちいち疑問も妙な間も持たないということになります。

気は気で分かるもの!

気も似たようなところがあり、気をいちいち思考に変換しないようにすると良いわけで、ハッと受けてハッと答える様になれると良いのですね。

そうなると何が気をわからせなくしてるかといえば、理解、思考といういわゆる分析、左脳的なエネルギーになるかと思いますが、「これはなんだ」という自分の中での位置づけですね、そういうものをいちいち細かに設定していく癖をなくしていく練習をしていかないといけないのですね。

普遍的な価値観の体得を目指す!

ここで位置づけという言葉が出てきましたが、人というのは何かを受けた時にそれをそう判断してしまう生き物でもありますね。でもそれは人それぞれが皆バラバラなところがあり、ある人は快適ととったり、またある人は不快ととるかもしれませんし、その程度なども人それぞれまちまちだったりします。

ですから位置づけというものはその人の価値観というものになるかと思いますが、そうなりますと人の持つ価値観というのは人それぞれが経験や理想などから作り上げる相対的なものであると言え わかりやすく言えば本物ではなく、全く同じものが他にはないと言う事なのです。

本当の気の世界はそういうものを通り越した更に奥にある本物の世界観です。

それはすべてのものが一つであり、共通、共有・・・いわゆる普遍的な世界観とイメージすると良いかと思いますが、実は遠くかけ離れたところにあるようですが、皆様もまた万物も全てが既に共有しているエネルギーであると言う事なのですね。

ということで、あるものをわかろうとするからわからない・・・その辺が感性を磨く上で大切な「力を抜く」と言う事で、「わかろう」とするだけでも実は力が入るものなんです・・・。

~つづく~