カメラを人に見立ててみると面白い!

カメラを趣味にしだしてからというもの、あちこちで撮影したり、またカメラの仕組みやら撮影テクニックなどもお勉強しておりますが、私のような気功師でエネルギーを扱ったり、また人というものの心や体の仕組みに携わる立場の人間から見るとなかなか興味深いところがあります。

まずカメラ(デジタル)というもの自体が「光の情報を記憶する装置」というものですが、写真を撮るということは画像を残すという観念よりも、そのシーンを光の情報として残すという捉え方をするのですね。 これは人もまた日常で見た様々な光景や対象などを記憶として持つことが出来ますのでなんか似ているなと思ったのですが、人の場合は多くの場合があいまいでなんとなく・・・という感じですね。

レンズを通して光の情報を記録します。

レンズを通して光の情報を記録します。

喜怒哀楽も色であるという考え方。

人の場合は再現もできないし、それをせいぜいイラストや絵なんかでかくぐらいしかできませんが、もしそのシーンが印象的なものであれば、色使いやらタッチの感じでなんらかの表現は出てくると思います。 そう考えますと人の場合はその「印象」の部分が光として記憶されたことになっているのでしょうね。 つまりうれしいとか、悲しいとか、腹が立つとといったものも「具体的な出来事、詳細」というよりは「光としての印象」として残しているのが本当のところなのではと思うのです。

カメラは白がわからない!?

またカメラではよくWB(ホワイトバランス)というものを見るかと思いますが、普通の人はここはAUTO(自動)のままで触らないかと思いますが、実はこのホワイトバランスというのは「白の基準を決めてください」というものでして、つまりカメラというのは「白っていったって、黄色っぽいのやら青っぽいのやら色々あるじゃないですか、どれを白にするんですか?」と厳しく突っ込んでくるんですね(笑。

人の場合は白というのは大体判断できますが、これはあくまでも大体であるというのが本当のところなのではと思います。 実際のところ白の中の白はと言われてもなかなか判断はできませんし、また人によって多少の差や好みも出てきますが、これをたとえば「白」「善」と考えた時、似たような感じになりませんか?

善と言ったって色々あるし、場合によって多少意味が変わってくることもあります。また自分の中で次第に変わって行ってるものもあるかもしれませんが、そういう意味では人もいろんな状況や立場があり一生懸命やっているところがありますので、たとえ他人様の「白」を見て自分と違うとしてもそんなに目くじら立てて対立しなくても良いと思います。

~つづく~