浦島太郎に「老い」のメカニズムを見る!

「老い」というものを一考する時に参考になる話があります。 皆さんもご存じの昔話「浦島太郎」ですが、簡単に説明しますと昔、漁師の浦島太郎が浜でいじめられていたカメを助けたら、そのカメは恩返しに竜宮城へ連れて行ってくれました。そしてそこでタイやヒラメの舞い踊り、美しい天女の舞と素晴らしいおもてなしを受けますが、やがて太郎は地上に戻ると告げます。

すると乙姫様は「絶対に開けてはいけませんよ」というメッセージとともに玉手箱を太郎に渡しますが、その箱を持ち帰った太郎は、結局気になってしまいその箱を開けてしまいます。するとその箱から黙々と煙が出てきて太郎はその煙に包まれ、あっという間に白髪交じりのおじいさんになってしまった・・・。 結局あっという間だと思われた楽しかった竜宮城にいた数日の間は、人間の世界では青年が老いてしまうほどの長い年月であったというお話ですね。

意識の繋がり。時間の概念と老いの関連性のお話です。

意識の繋がり。時間の概念と老いの関連性のお話です。

単なる「約束を守りなさい!」というお話だけではない。

このお話を聞いて、皆さん何を思われますでしょうか?一般的な解釈としては「約束を破るな!開けるなといったものを開けるからそうなる!」という方が多いのかなと思うのですが、エネルギー的に解説をしますとこれは「老いと時間と意識(思考)の関連性を解いた話」となり、思考が止まっている状態では時間的な支配を受けず、そこには老いもないけれども、ひとたび現実にとらわれ比較の世界に生きるようになると時間は進みだし、自覚として老いも進んでいくというものなんですね。

いわゆる一つの「瞑想状態」。意識の繋がりを見ていく。

つまりカメを助けたご褒美に浦島太郎は一時的にレベルの高い意識体とつながることが出来たのですね。まるで正しく瞑想が出来た時のように、その繋がってる間はこの世のしがらみや自分の現実、自意識というものから離れ師玉の領域に生きていたのです。しかし間(はざま)の領域でも「なんとなく帰らなければ」と感じ帰ろうとするのですが、そこで「箱を開けるな」というメッセージ・・・つまり「帰るなら仕方ないけど世の中の現実やしがらみに我(真実・本当の自分)を見失わないようにね。そっちの世界と繋がり、囚われないようにね!」という智慧を頂いたのです。

ですが現実というのはあれこれあります。日常に包まれれば、ついいつものように自我やエゴが生まれてきますので結局その重力に引き込まれて「その領域=時間は過ぎる=人は老いる」で生きることになってしまったのですね。

カメを助けた時にあれこれ「損得勘定(思考)」ではなく心で動いた。ここで思考が止まり高い次元と繋がったのでしょう。そしてそこには時間という概念がほとんど発生しなかったから、自覚がない・・・つまり老いるという概念もないから若いし、何の苦も感じずハッピーなままだったのです。

~つづく~