というのは目に見えにくい、五感に感じにくいものとされていまして、
一般的にはそこに本当にあるのかどうかもわからない、
「あいまいなもの」という定義がなされているようですが、
正しい修練や、きちんとした誘導に導かれれば、
確かにそこに存在するのがわかりますし、それを操作することも可能であることがわかるようになります。
気がわからないということは、
心身がサビつき、それを認識できない状態かと思いますが、
それは体に無用な緊張が張り巡らされていたり、
心的に偏った物事の感じ方をしているから、
気そのものを「あってもないもの」としたり、
「まったく別のもの」に勘違いして識別していると理解するとよいと思います。
サビというものはサビと気づかせない、認めさせない、
また持ち合わせていたとしてもそれが当たり前のような感じさえしてくるのが、
一番危険な感じがしますが、
言い換えれば「気がわからなくてもそんなの当り前」というのが、
気がわかった側から言わせますと、どんなに自分の可能性を狭めているか?
またどんなに自分を粗末に扱っているか?という風に見えてしまう・・・というところがありますね。
心、体が、本当は何を感じ、何を訴えているのか・・・。
そこを邪魔しているサビのお掃除は本当に大切なものです・・・。
自分はサビついている・・・そう気が付いた人から、
次の扉が開かれていく様に見えますね・・・。
本当の自分を知る。本当の真理を知っていく。
それが私たちが伝えたい「気功」です。