「正しく修練しておかないと、行き詰まる時が来る」

そうですね今回は「正しく修練しておかないと、行き詰まる時が来る」という事をテーマにしましょうかね。何のために修練するの?とか、修練しても成果が出なくて・・・とう方々にはご参考になるかもしれません。

どこまでいっても基本を正しくです!

どこまでいっても基本を正しくです!

無理やり気を通そうとすると不具合が起きる。

気功というのは正しく修練して体を作っておかないと意識とか心などの成長と体の折り合いがつかなくなってしまうと言われています。 気功というのはエネルギーを高めて自在に操作できるようになることを言いますが、特に教義や本などの勉強ばかりで頭でっかちになったり、体も作らず、パワー信仰に迷走しグッズなどに傾向しすぎますと「偏さ」を起こしやすくなります。

頭が痛くなったり、具合が悪くなったり、精神が不安定になったり・・・偏さにもいろいろありますが、原因はきちんと体、意識ができていない、言い方を変えれば、間違った修行・修練をしているから異常が起きるのです。

高い理想をもち、自分を変えたいと思う事は素晴らしいことですが、本当の修行・修練というのはただ単に自分の劣っているところを克服したいとか、能力を高めたいと言う事だけではありません。 本当のこと、いわゆる真理とか悟りとかそういうものを知っていかなくてはならないのですが、そういう事をしていく場合は頭だけで理解するのではなく、全身で、また日常での生活や答えという部分でもこなしていかなければいけませんし、自分と向き合う必要があるのです。

修練を通して師とつながることが大事!

基本的に体のできてない人(ここではエネルギーがきちんと通う準備ができてない人)ほど、何かのせにしたり、いいわけが多くなります。 またコミュニケーションという面においても多少のクセというのが目立つものであり、何かとトラブルが絶えません。

これは間違った修行をしているからで、基本ができてないうちに先に進もうとしたり、勝手な解釈で間違ったまま先に進んでしまうなど、本来は捨てていかなくてはいけないエゴ・自我というものを逆に暴走させてしまっているのが原因なのではと思います。

ですから本当の意味の「体を作る・修練」というのは皆さんが思ってるただただハードにやりこむというものではないということです。むしろ無用な力を抜いていかなくてはいけませんし、基本からずれていかないようにすることが大変なことなのです。

そういう意味で師の指導をきちんと守り基本に忠実に丁寧におこなっていき、そして厳しい時もあるでしょうが「師の言う事をそのまま信じる」素直さを持つことです。そのために修練というものがあり、そこを通して師とつながるというのが本当のところなのではと思います。

自己流だから行き詰まる、それていく・・・そういう意味で「正しく」修練しないと行き詰まる時が来ると言う事ですね。

遥かなる道を・・・師とともに・・・。

遥かなる道を・・・師とともに・・・。