「こんなはずじゃなかった」と言う老い方にならないために・・・。
「納得のいく老い方を考えましょう!」という事で、人間ですから老いていくのはある程度仕方がありませんが、体に不具合が生じてきたり、気持ち的なものも沈んで来たり、また見た目にも変化が出てきた時に急にガクッとならないようにしたいものですね・・・というお話しでした。
ここに「ガクッ」という言葉がありますがいわゆる「落差」ですね、実はここに大きなヒントが隠されていて、ここが大きいと急に老け込んだり、悪化したりするわけなんですが、言い返せばそれは「それまでは老いとか人生というものを勘違いして見てきた」という事になるのではと思います。
極端な言い方すると「軽視」!?
極端な言い方すると「軽視」という事なのでしょうが、ある種の慢心ですね。 老いたとしてもそれはそれで当たり前とか、何とかなるとか、私は普段からしっかり備えてるし、頑張ってるから大丈夫・・・と考えてるのですが、実際に老いて無理がきかなくなったり周囲との対立などから受けるダメージというのはそんな想定したものなんかよりもはるかにハードなのでガクッときてしまうという事なんですね。
年を重ねれば重ねるほどしていかなくてはならない事。
「納得」というものは自分でそれを理解し素直に受けれるという意味ですが、「納得のいく老い方」をするには「受け入れる」という姿勢を育む必要があります。 しかし一般的に年を重ね経験を積んでいくとそれなりの立場にもなりますので、環境的にも周囲にあれこれ言う事の方が多く、逆に言ってもらえる機会は少なくなってきますね(言われても突っぱねてしまうでしょうが・・・)。
でも本当は年を重ねるごとに納得する(理解する・受け入れる)・・・つまり人の話や物事に理解を見出し、聞き入れたり、応じていったりする方が「人生でこれまでに得たものを活かす」という意味では自然な形と言えるのです。
「納得のいく老い方をしてる人」は逆に若々しい!
ですから「納得のいく老い方をしてる人」というのはおかしな話かもしれませんが逆に若々しい感じがします。 確かにそれなりの年齢は感じもしますが、それ以上にどこか魅力的というか、いつまでも青年少女の様にキラキラと好奇心に満ちながら活気があり、それでいて深いまなざしで丁寧に物事に向き合う感じなんですね。
それに対し「こんなはずじゃなかったと言う老い方」の場合はどこか悲壮感や威圧的な態度が漂い、物事には常に否定的な態度で事に当たります。そして自己保身のことばかりが優先し、目には疑いと後悔のまなざし、また口からは愚痴ばかりがこぼれますが「理解を示さない」「突っぱねる」という行為を繰り返してしまい続けると、やはりそれはそれなりにそういう形になってしまうのですね・・・。
~つづく~