努力するもんだ!頑張るもんだ!・・・そういう観念が強いと、それは「強引」というものになる!

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今までずいぶんと自分の身体や気持ち、感情なんかに強引に接していたな・・・そう感じたのは、開脚をやり始めてから1年ちょっとぐらいたってからですかね。常々、荒井先生より「体の堅い人は強引なところがある、その意識、生き様が体のサビや硬さとなって今に現れてるんですよ」という言葉は頂いていたのですが、「頑張る」とか「努力」というものなら、やればやるほどいいものでしょう? 頑張らない方がダメなんじゃないの?・・・というものがいつの頃からかこの身にしみついていたので、まさかそれを強引と言うとは気がつかなかったんですね・・・。

強引な性格は見た目とは関係ない!派手さはなくても頑固で強引なことをしていくタイプも結構多い。

ところで「強引」と言うとどういう感じ、またはどんな人をイメージしますか? さも気が強くてわがままな感じ?または荒くれてていかにもごつそうな感じをイメージしますか? もちろん見るからに強引そうな感じの人は確かにそういう所もあるものですが、いかにも線が細くてか弱くて、なんか言ったらすぐ泣きそうなタイプの人でも結構強引な人っていますよ。(笑

実際に今までいろんな生徒さんなどを見ていますが、なかなか開脚が上手くできないタイプの人はやはりどこか頑固なところがあったり、いざとなったら強引なことをしちゃうところが大いにあるもんですよ。(笑

体が硬いならなおさらやる!固い人にこそ与えられるアドバンテージがある!

体が硬かった人、特に成人、中高年の方が今から体が柔らかくなるには、そういう意識的な気づきとか、反省のようなものが生まれてこないと、なかなか困難だと私は思います。でも、もしそういう方が柔らかい体を手に入れることが出来たならば、これは間違いなく人生が大きく変わるでしょう。 見るもの触れるもの、今まで当たり前だった感覚にも大きな変化を感じるようになると思います。

逆に体操やダンスなどで元々柔らかかったタイプの人はちょっとやっていくと気付きよりも昔のコツを思い出すので、気を出す・感じるという点ではハンディを、柔らかくなるという意味ではアドバンテージがあるということになりますね。

導引体操における開脚はストレッチとは別物と考えると良い!

導引体操、開脚って本当にそういう意味で奥が深くて、ただ柔軟性を高めましょう・・・だけではないのですね。

開脚を通して痛いところと向き合う、自分と向き合う、自分の生きざまと向き合う、そしてそのこわばりを緩める、緊張を解く。そしてそういうことを重ねていくと、いつしか今度は人のこととか、世の中のこと、またいろんなことにも同じように接することが出来るようになるのです。

これが導引。導き引くとありますが、何を引っ張って何を導くのといえば「気」です。ストレッチ体操と違うのはこのあたりですね。

「あきらめ」や「観念」・・・これが開脚のコツ!

そんなこんなで自分のダメさ加減に気が付いた時、また自分の今までのやり方では今が限界、この先は老いる一方と感じた時にある種の観念をしたのかも知れません。

結局、足を広げお腹が床に付いたのは1年半後。当初は3年でなんとか形になればいいなと思っていましたが、結果的には予定よりも早くできるようになったのでした・・・。

つづく。