子供を変えよう、子供に言う事を聞かせようでは難しい。

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子育てと自分磨きというテーマで3回目になりますが、1回目は「自分の“理想”の子育てが自分の“都合”の子育てになってしまわないように」というもの、2回目は「子供に自分を見てしまい、きつく当たってしまいがちですが、間をあけて相手の気持ちも察してから接してあげましょう」と言うものでした。 さらに、そういうことなども頭では分かっていても実践ではなかなかうまくいかないので、普段から呼吸法などで訓練、クセ付していくとよいですよと言うものでしたね。

どうでしょうか、お子さんへの接し方、自分の生活習慣など少しは変えてみた、あるいは意識してみたでしょうか?(笑

普段から、子育てとか、お子さんとの接し方などでよく質問を受けるものですが、最終的にいつも私が言うのは「お子さんを変えようとか、言う事を聞かせようとかよりも、自分が変わること。自分がまずしっかりとした人格を持ち、心身共に元気でハッピーでいればお子さん達も勝手に良くなりますよ。」と言うものですね。

教育とは能力を引き出してやること。観念を植え付けるのではない。

子供は子供で見てるところはしっかり見てますし、理不尽だなと思うようなことにはどこかで抵抗を見せるものです。 気を付けたいのは自分のこだわりとか観念を子供に植え付けないという所でしょう。

子育てとか、しつけと言うのはいわゆる教育です。教育とは能力を引き出すとか、必要に応じて正しい知識や情報などを与えていくものですが、自分の観念を植え付けるとなるとこれは洗脳あるいは支配と言うものになってしまいやすいのです。

例えるなら黄色い花を咲かせる花ならば、花の中にそういう遺伝子(意識)がもう既にあるので、いちいち「黄色になるDNA配列を教える」とか、「他の色に染まらないように隔離する」なんてことはしなくても良く、水はけのよい肥えた土と、適度の日当たりや水を与え、時々虫に食われてるとか、暴風の時ぐらいは守ってやればそれが一番キレイに黄色い花が咲くのです。

せパレーションしないとお互いに足を引っ張り合う形に。

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だけども、どうしても心配であれこれ手出し口出ししてしまう・・・という事なのですが、これはエネルギーの観点からすればセパレーション(分離)ができていないという見方となります。つまり、親と子それぞれの生命と生命とがごちゃごちゃになってしまい、互いに足を引っ張り合ってる状態となってしまうのですね。

ですから心配するにしても「正しく心配」しないといけなくて、例えば「何か失敗しないか?」と言う時も、「失敗したらしたでそこから何か得られるんだからそれでいいし、他にもっといいものが来るかもしれないしね!まぁ上手くいけばそれはそれで大いに結構!」と行く末を見守ってやればそれが一番実力を発揮できる状態になりますが、反対に「大丈夫か~?」「失敗するなよ~」なんて過保護になりすぎてると、そのモヤモヤして不安定な波動が相手に移ってしまい、上手くいくものも上手くいかなくなる・・・という事なんですね。

子育て、教育は自分がお手本として、どれだけよい波動を出すか?そして相手にどれだけその波動に共鳴してもらうか?・・・そういう意味で自分磨きは欠かせないのです。

どれだけかまってやるか、どれだけ時間やお金をかけるかにこだわると、なかなかうまく回っていかない・・・という事になりますのでご注意を。

~つづく~