潜在的なものは「吐けば」出てくる!

前回は「人間性とか魅力とかは本来は自分の内側から出てくるもの、結婚というものもそういう意識が内側から出てこなくてはいけない」・・・というお話をしました。そしてそれが出てくる人とそうでない人の違いは何か?と言う事で今回はお話してみたいと思います。

まずは「出てくる」と言う事をイメージしてみましょう。 こちらは気功のサイトなので気功的に説明しますと、まずは呼吸・・・出てくると言う事は呼吸で言うなら出すと言う事で「息を吐く」という行為になりますね。 反対に出てこないという人は「出さない」「出せない」と言う事にもなり、呼吸で言えば「吐いていない、上手く吐けない」と言う事になるかと思います。

前回少し説明しましたが、人は何かに備えたり構える時には緊張優位型となり、息を吸う事、あるいは止まり気味になる人もいますが、そちらの方へ意識を向けます。反対にホッとしたり、安らかにしてる時などは横隔膜も緩み比較的吐くほうにも意識が向いています(あるいは、人によっては、ただ吸う事に意識が向かなくなっただけで特に吐くことは意識していないかもしれませんが)。

つまり人は何かを変に意識しだせばしだすほど外に強く求めたり、あるいは反応しようとしてのですが、そうなると童話の「幸せの青い鳥」状態になり、本当は自分の家にいるのに、どこだどこだと探し回る旅に出ることになるのです。

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「あきらめること」が一つのヒント!

結婚というものもそうです。本当は自分の中にそういうエネルギー、あるいは種というものがあるのに、そこを育てようとしないし注目しない。人がこうなったと言えばそこにつられて自分を見失う、あるいは、潜在的なものではなく、世の中や理想からできた「妄想の結婚イメージ」にとらわれ、そこに固執してしまうのですね。

吐く行為というのは一種の諦めとか潔さというイメージを持つと良いかもしれません。自分の結婚という種がどういうものか?・・・それがたとえどんな種でも(どんな結婚という形になろうとも)受け入れよう!それで行こう!・・・どんなものだとしても共に歩んでいこう!と腹をくくると良いのです。

ですからそれができない人はどういう事になってるかといえば、「もし結婚しても苦労したらどうしよう?」とか、「タイプじゃない人と結婚することになったらどうしよう?」という感じの「もし・・・」状態になってるのですね。

種を育てていかないとダメ!

tea-635267_640要するに本当の種(答え)が自分の理想じゃなかったら嫌だから怖いから、外に理想を追い求め、それを手にしようとするのですが、それでは鶏やカエルの話と同じで、クジャクになりたがる鶏、あるいは蛇になりたがるカエルというのでしょうかね? まぁそれは極端ですが、結局「無理でしょ」と苦労することになるし、すぐバレると言う事なのです。

鶏なら幸せな鶏、カエルなら幸せなカエル・・・そうなればいいのではないでしょうか?

~つづく~