師の存在の必要性!教わる、その世界観へ連れて行ってもらう!
「気が良くわからない!?」と言う事でお話しておりますが、気というのは「わかろう」とか、「体得しよう」とかそういう意識も過度になりますと今度はよけいにわからなくなったり、習得できなくなるところがあります。
そこらへんが実は一番難しいところなのかもしれませんが、ここで注目すべきが「師」「先生」の存在というものです。 何が気で何が気ではなくて・・・というものを直接教えて頂くとか、「こういうものがね・・・」と本当の気の世界に導いてくれる存在に指導を仰ぐと言う事が大切になってくるのですね。
「わかった気になる」のは危険!
以前にも気というものはいろんなものがあるというお話をしました。上質な意識的なレベルのものから、荒っぽい電気というかエネルギーのようなものまで、そのタイプは様々かと思いますが、そういうものも、きちんとわかるようになっていかないと本当の気の習得とは至りません。
気がわからない人の中には「これが気だ!」と勝手に解釈してしまい、余計に気がわからなくなってしまっていくタイプの人や、気ではなく「妄想や空想」の世界観に走っていってしまう方もいらっしゃいます。 実はこの「わかった気になる」というのは危険なもので、そう信じ込むとそこにさらに上乗せして解釈していってしまうので、今度はなかなか修正が利かなくなってしまうのですね。
ですからそういう意味でもきちんと師にチェックしてもらい、もし間違っているところを指摘されたならばそれを謙虚に受け入れて、さらに真摯に・・・という感じでやっていかないと、いつまでたっても気の習得に繋がりません。
「気がわからない」のは既に分かった気になってるものがたくさん詰まっているから
そう考えますと「気がわからない」という方は謙虚じゃない、素直じゃない、頑固・・・という所が多くあると言えるのではないでしょうか? 聞いていない、その通りにやらない、信じていない・・・苦手だなという方を見ていますと大体そんな感じでやってるところがあるものなのですね。
ですからそういう方たちを見ますと「ずいぶんいろんなもの溜め込んじゃったな」と感じるものなのですが、となると今度は「捨てていく」と言う事に注目すると良いでしょう。 今までためてきた観念、思想、思考・・・そういうものも全部洗い流し、本当の宇宙性に立ち返るという発想です。そうしていくことで始めて、本当のことが見えてくる、わかってくるのですね。
だから、本当に気がわかりたいと思うならば、それぐらい真摯な覚悟を持つと良いんですよ、本当はね!(笑
~つづく~