鶏は鶏、カエルはカエルの卵しか産めないし、そこから生まれない。

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前回は「やり方ではない」・・・その奥に張る意識(エネルギー)だというお話で終わりました。 よく世間で耳にする言葉で「何をやっても上手く行かない」「何で私ばかり・・・」というものがありますが、これらの言葉もそういうイメージから見てみてください。 つまり「そういう波動・波長でやっては何をやってもそういう結果が形として出ますよ」ということで、鶏はどんな形や大きさの卵でも鶏しか、カエルはどんな卵でもカエルが生まれる卵しかうめないようなものなのですね。

もちろん人はそのような動物ではありませんが、自分の意識というものがもしいくつかの階層から成り立っていて、例えばそれを色としましょう。 赤なら赤、青なら青、黄色なら黄色・・・そのような階層が人それぞれ持っているとします。

そして赤は荒っぽくて喧嘩ばかり好むゾーン、黄色は自分の都合ばかり考えて人のせいばかりにするゾーン、青は知的で聡明誠実なゾーン・・・そのようなものとしますと、人の性格はそれぞれの色の特徴が表れてるということで、その本人の波長が赤だったり、黄色だったり青だったりする周波数をもっているのですね。(光・可視光:波長750~380でそれぞれ赤から紫に該当する)

可視光線

可視光線

ということは性格を変えると言う事は周波数・波長を変えていかなくてはいけないと言う事にはなりませんか?

「どうしたら私の波長は違ったものになりますか?」という感覚。

ですから「どうすれば結婚できますか?」とか「どうすれば上手く行きますか?」という質問を持ってる限りはいつまでたってもなかなか変わらないわけで、「どうやったら私の意識は変わりますか」とか「どうしたら私の波長は違ったものになりますか?」という感覚で物事に臨むようにしていくと良いのです。

人も生物も鉱物も存在するすべては元素から成り立ちます。それらは原子核を中心に電子が規則正しく配列され法則的な運動または軌跡・軌道を描きますが、その電子や原子核を構成する元すら最近の科学では解明されてきています。

そしてその究極の正体は光であり振動であるという所まで来ていますが、そう考えますと人、また意識というものも光であり振動であると言う事になります。そしてそれらが発しているのが波動であり、この世の現象などもそういう波動・意識が出ているからそうなる・・・そういうイメージをすると良いかと思います。

それほど自分は自分じゃないという感覚

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人は考える生き物で自覚というものがあります。「これが自分。自分はこう考えこう思う。こう感じてる」ですが、エネルギーの観点から言いますとそれは意識、細胞の振動数がそういう癖を持った領域とつながりやすい状態にある・・・ということで、それらは本来は絶えず移ろいながら流れゆく法則性を有しているので「絶対」とか「固定された」というわけではないのです。※これを勘違いしてこだわりを持ち続けると固定観念となり、一時的な安定性は持ちますが法則的には不自然なため、いずれ崩壊します。(俗にこれをショックといいます)

ざっくり言いますと「人それぞれ」とか「あの人ずいぶん変わったよね」ということもようあると言う事で、こういう形で見ていくと波動が変わるほど何かが衝撃を受けるとか、細胞が変わってしまうほどの体内変化などが起きれば性格などは変わりますし、何もしなければ変わらない、あるいはサビ付いて行きじりじりと弱弱しいものになっていくと言う事です。

つまり人は自分、自分と、さも自分のことを知っているとか、こういうものだという様に捉えていますが、実はそれほど確固たるものもなく、また永遠性も含んでいないという所があり、なにかあればコロッと意見を変えてしまえたり、生き方そのものも変わってしまうものなのです。乱暴な言い方をしてしまいますと、あいまいでいい加減なところも大いにあるのです。

でもそれは実は自然なことで、それはそれでいいのです。ただし、心を持った人間であるならばそれらを正しい意識のもと、宇宙性でコントロールしていきましょうというのが人の本来ある姿なのですね。

そしてそれをどうやって・・・となれば、「呼吸によって」というのが気功であり、特に丹田開発・呼吸と姿勢とで宇宙意識に繋がりましょうというのが荒井式中心気功の提言するところなのです。

ちょっと話が真面目になりましたが、結婚に気功エネルギー? というのも何となく見えてきましたでしょうか?

まだまだ続きますよ・・・。