「そんなに大事?」それとも「その程度?」
仕事がら多くの方から様々な問題や悩みなどを相談されます。些細なものから結構大変そうなものまで・・・それは確かにそれぞれなんですが、実はけっこう本人の思ってる感覚と違うような時があったりして、そうなると本人さんたちはびっくりされますね。
「えっ、そんなに大事なことだったんですか?」とか「え~、その程度のものなんですか~?」なんて声が実際には出るのですが、要するに自分が思っているよりも実は根が深い問題だったり、反対に自分ではこんなに大変な思いをしてるのに、実はたいした問題ではなかった・・・ということが良くあるものなのです。
何でもかんでも悪者扱いすると・・・。
先日もうちの生徒さんがご家族とのコミュニケーションの取り方で勘違いをしていたというケースがありましが、要するにご主人の考え方や態度などを「この人はこうだから」と決めつけていたところが強く、それでずいぶん今まで誤解してたのですね。
「何を言っても無駄だろう」「きっとこう言ってくるに違いない」・・・そういう思いが常に先走り、自分の言いたいことは言わず、またどこか不満を抱えながらご主人に接していたという感じだったのだそうですが、その生徒さんは私にそのご主人との間に抱えた不満に関する質問や相談は一切今までしてこなかったのです。
しかし最近になり、どうも様子がおかしいなと感じたところがありましたので、私の方から詮索してみたのですが、「こういうものは相談するような内容ではないと思っていました」と言う事で、「そういう所が自分のエゴを捨てて行くといううえで一番大事なポイントなんですよ」・・・となったわけなんですね。
今回のケースで言えば「だろう」と「違いない」が問題ですが、こういう推測、憶測というものは実際のところ多くの方がしますし、それをしたところで世間に罪に問われたり罰せられることはないかもしれないのですが、真理とか宇宙の法則という点から見ると結構厳しくチェックされるところがありまして、実は根深いものがあったりします。
それはそうですね、何を相手がしてこようと、何を話そうと、それは湾曲されて自分の中で処理されて「イメージ」として「不満」という類に振り分けてしまうのですから、それは真実ではないという観点から「反している」と言う事になります。
今さらですけど自分を疑う姿勢は大事です。
こういう事って世間ではしてしまいがちなので許されてるような感じがするかもしれませんが、実はこういう所がネックになって日常のトラブルとか、体調不良とかの諸問題が引き起こされたり、あるいは孤独というものにさいなまれたりしていくのです・・・。
「ひとつひとつ、こうかな?と思ったことを自分だけでしょい込まずに質問するようにすると良いですよ」となったわけですが、その後、その生徒さんから早速相談がありましてアドバイスしたところ、やはり自分の思い込みだったことが判明・・・危うくまたご主人を悪者にするするところだったですね(笑。
大きく感じる問題が解決しないという方は、小さな問題の見逃しにご注意を!