久しぶりに開脚ネタ!?

久しぶりに開脚ネタで行きたいと思いますが、どうでしょう?皆さん成果は上がってますでしょうか? 導引や気功の世界では開脚も実は先に進みますと、ただ開けばいいってものでもなくてなってきて、そこにいかに気が通っているかとか、気のつまりがまだ残ってはいないか?という所を見られるようになります。

となってきますとみられるのは本当に細かなところになってくるのですが、このあたりから大まかにですが「体操・ダンス系」「気功・エネルギー系」になってくるのではないかと思いますね。

うちの生徒さん方でも体が柔らかい人は結構いらっしゃいますが、この辺がやはり難しいところのようで、体が柔らかくてもまだ気は出ないという所で、しなやかさと同時に芯のある強さみたいなものも出てこなくてはいけないので、なかなか苦労されてるようですね(笑。

波動が出てる開脚でしょうか?

ちなみに本当に気が通った導引体操の開脚となるとそれは顔の表情やら全身からもそういうものが伝わってきます。それを見てるだけでこちらも無用な緊張が抜けてリラックスしてくるようなそんな波動が出てますが、そこまで気が出てくるようになるのが修行・修練というものなのでしょう。

昔の写真ですが・・・つらそうですね(笑。

昔の写真ですが・・・つらそうですね(笑。

見方を変えますと開脚が下手な人、苦手な人というのはもう顔の表情がもう苦痛に満ちているような感じですね(笑。 全身からもやりたくないオーラが満載というか、見てるこちらに苦痛感が伝わってくるような感じもあったりしますが、反対に「できる!」という感じで得意げになってる人や、自分の世界に完全に入り込んでて自己陶酔してらっしゃるタイプの方もいらっしゃいまして、そういう人もまたある意味違う波動が出ていて気の本質から遠のくケースもあります。

「導引」というありがたい知恵!

気というものはそもそも「共通・共有の」とか「普遍的な」という意味合いの「元となるのエネルギー」という概念です。そして導引体操(開脚)もそこを目指してとか、そこを介してという代物なので、そこに何かしらの違和感があるとしたらそれは単なる体操、エクササイズというカテゴリーになるのですね。

談笑も導引と言われています。

談笑も導引と言われています。

ですから導引が上手な人は対立性がなくなってきますので、日常生活でもトラブルとか、アクシデントとかからはだんだん無縁になってきます。 周囲にも人や物がまるで勝手に集まってくるような感じにもなってきますが、そのきっかけが「自分の身体、意識の融合、呼吸から」という教えには、古人の知恵というものに改めまして感謝したいなと思いますね。

つまり自分の身体と意識が合一できないのに、人さまや世間、あるいは健康や豊かな生活との真の合一はないというところで、導引体操は本当に基礎中の基礎ですが、大事に丁寧に取り組む必要があるのです。

できないのもだめだけど、できるからいいやじゃない・・・そういう世界なのです。