「サビ」にマヒしていませんか?

「サビ」ってなんだ?正しく放っておけることが出来るならば後は自然に「調和」に落ち着く!・・・と言う事で前回は、物事は本来、ほっておくと上手く調和という所の落ち着くものですよと言う事をお話ししました。良かれと思って何か人為を加えようとしたり、あれやこれや思い入れを加えれば加えるほど物事はおかしくなったり、こじれていったりするものなのですが、そうしてしまう根源が意識的なものでいえば固定観念とかこだわりという「サビ」になりますし、健康面で言えば気の流れをストップさせてしまう物質的といいましょうか、ある種の電気的な「サビ」となるのですね。

まぁこういうものを普通に我々人間というのは持っているものでして、それを知らずにそれぞれがそれぞれに主張し合ったり、こんなもんだと自分に言い聞かせてたりするのですが、そうしていますとやはり年齢を重ね、老いというものがやってきますと、段々とそこに縛られて無理もきかなくなる、あるいは不具合が生じてきてしまいます。そして、そこでやれ薬だ、面倒だのという感じでやってしまっては二次的三次的な後遺症が出て来たり、体力、免疫も落ち人生は先細り、孤独というものになってきてしまいますので注意が必要ですね。

「善意」とか「常識」という言葉で美化されてしまっているサビもある!

サビの中には固定観念というものもあるとお話ししましたが、実は世の中にはある種の「善意」とか「常識」ということばでこれらが美化されてしまっていることがあります。例えば会社、仕事などで言えば本当は出る幕ではないのに「良い人」「できる人」「そうすべきこと」ということで口を出したり、代わりにやってしまったりしてしまうものですが、案外これも本来の流れからすれば失敗するタイミング、失敗しても良い人がせっかく失敗出来たところを肩代わりしてしまったりして、その歪が後に出て来たりします。そうなりますと、下が育たない、爆発的な飛躍や発展がない、コミュニケーショントラブル、病気やけが人が多い・・・そんな感じになりますね。

冬には葉はすべて落ちても良いのです・・・。

冬には葉はすべて落ちても良いのです・・・。

また子育てなんかで言えば、病気やけがをしていいタイミングという時に過保護すぎてしていないとか、あるいはこどもがそれを受け、そこからバネに頑張るということを学ぶはずだった「壁」を親が崩してしまうとか、回避させてしまうなどですね。そうなってしまうとやはりそれも歪と言う事で、精神的にもろい大人になってしまうとか、人の痛みがわからない、加減がわからない、キレる、恩や感謝、礼儀などを欠くという大人になりやすいですが、結局そこで困るのは本人と、老いてしまった親御さんたちということになり、何かいい解決法はないだろうか?と後になって苦労されます。

~つづく~