捨てる修練!?
前回は修練を通して師とつながることが実は大変重要なところだというお話をしました。
修練を通していきますと普通は疑問とか「こうかな?」というものを得られるものなのですが、これが本当に正しいのかどうかをチェックしてもらう存在がいなければ、自分の物差しのずれはいつまでたっても直らないからなのですね。
何のために修練するのかと言えば自分を磨いていくためなのではと思いますが、本当の自分磨きというのはむしろ捨てていき本当のことに気づいていくようなところがあります。ということは自分の価値観とか固定観念という部分にメスを入れていかないといけないわけですが、多くの方はそこをさらに極めていったり、固めていこうとしてしまいがちです。
そういう意味から申しますと、修練というのはある種のマイナス的要素が実は強いものなのかもしれません。やりこんでいくうちに自分の中にある間違ってるもの、勘違いしてるもの、捨てるものをどんどんと選定していき、そして捨てていく・・・そういうのが本質なのです。
余計なものが多すぎると美しさが出てこない!
荒井式中心気功の修練メニューには素晴らしいものがたくさんあります。そしてそれらを行うとき、正しく出来ている場合は呼吸と動作とさらには意識ですね、この3つが揃っており、見た目も美しく、波動も出ていますので見てるだけでも元気が出てきたり、身体の調子が良くなって来たりもします。
反対に呼吸も動作もバラバラ、意識もどっかに行ってしまっている、また強引に力でやっている場合ですと、そこからは何とも近寄りがたい残念な空気感が漂いますね。当然見ていても美しくはない感じがします。
「気功の修練におきましては無用な緊張、力を抜くことが重要です。」・・・そう常々申しておりますが、その無用なものは一体何かという所に気が付いていけるとよいのですね。そしてそれらが抜けてこれば来るほど波動が出てきて本来の美というものも出てくるのだと思います。
先達
私は修練をどちらかというとたくさんやりこむタイプの人間ですが、最初のころはプラス意識が強くて、ああなろう、こうなろうという感じで力が入っていました。 今思えばやればやるほど下手になったり体を壊す典型だったわけですが、それを荒井先生をはじめ各師範の先生方がしっかりとご指導してくださいました。
そのおかげで今はこういうことも書け、指導もさせてもらえるようになっていますが、そういう意味では、今まで自分自身が通ってきた道だからこそ、間違いやすいところや危険なところなどはわかるかもしれませんね。(笑
ご興味を持たれた皆様方におかれましてはお会いできる日を楽しみにしております。